仏縁にあうという事

昨日・今日とお寺や宗教と立て続けに出会った。
「仏縁」にあうというのであろうか?

昨日は師匠寺で「真宗講座」なるものを昼夜にわたって受けた。
「わかりやすい浄土真宗のお話」と言うテーマではあるが、分かったような分からないような。
ただその場へ行ったという事は、自分の意志であるようだが、縁というものが無かったら、何らかの事情がそれを妨げたかもしれない。
そう思うと不思議な気もする。

今日は、義母の7回忌法要に出席した。
法要に先立ち、お寺へ納骨もあった。

99歳6ヶ月という長命だった義母の法事は、本家の孫夫婦が中心になって行なってくれた。
先日の実家での父の法事といい、今回の義母の法事といい跡継ぎがしっかりとやってくれているのを見るのは、ほっとするものがある。
「みつへ」おばあさんのこたつへもぐり込んで遊んでいたひ孫二人が、運転手をしたりして父・母をサポートしてくれていた。ありがとう!

総勢20数名と一緒に住職も食事をされ、昔話やお寺の縁起の話まで出て、和やかに時間が流れた。
しばらく会っていない皆さんと会えたのも、みつへさんの縁であり、こういう場所を作ってくれた本家の皆さんのお陰である。感謝!である。
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帰宅してから、西本願寺のHP内の「お坊さんがゆく」シリーズで「お墓ってなあに」「おとき岐阜編」などを見てしまった。
リンクは http://www2.hongwanji.or.jp/video/obosango.html である。
neko
Posted byneko

Comments 2

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anakin  

私は、おととしの2月に同居していた祖父を亡くしました。
物心ついてからの身内のお葬式は初めてで、何日法要だの、1周忌だの、何かとばたばたして大変だった気がします。今は父がやっていますが、いずれは私か妹のどちらかが、こういうことをしきってやっていくのかなあ・・・なんて思ったりして(笑)
99歳6か月とはすごいです!nekoさんも、義母さん以上に長生きしてくださいね!

2007/10/07 (Sun) 21:21

neko  

anakinさん

「亡き人を案ずる私が、亡き人から案ぜられている」という言葉を真宗講座で教えられました。

例えば、若くして亡くなった人のことを「ああ、可哀想だ」などと、色々思っているが、亡くなった人は、仏となりこの私の事をおもっていてくれている。
と言う意で、浄土真宗では、先祖がバチをあてるなどは絶対にありえないという事です。

お祖父さんは自分の死をもって、anakinさんに色々なことを教えてくれたと思います。

2007/10/08 (Mon) 08:35