信心とは

折角書いた真宗講座のブログ。
消えてなくなったのが口惜しいので再度書いてみる。

午後の部。

人生の終わりを迎える時、名残りはあるか?
名残りがあるという事は、自分の人生を振り返って「まあ、よかったなあ」と思えることだ。
さすればそれを感謝しつつ阿弥陀さまの元へ心安らかに旅立てる。

親鸞聖人のお弟子さんやご自身の最後の時を例にとりながら、「死は恐ろしいものではない。」と話された。

安方さんという講師は「高座で説法をする」という感じだった。
(扇子を電話のように使われたり、トントンと叩く音も扇子で出される)
例えの話も飛び過ぎず、笑いと涙の時間だった。


浄土真宗の一番特徴的なのは「死んであの世へ行く」という考えでない事じゃないかなあと思う。
じゃあ死んだら(命が絶えたら)どうなるのか?

「浄土へ旅立って仏様になる」

これを理解するのは難しい。

それを得心するには、「阿弥陀さまは常に貴方を見守り、『大丈夫だよ、私に任せなさい』と言われているよ」というのが心にない限り無理であろう。

「南無阿弥陀仏と念仏が口から出ると言う事は、阿弥陀さまが貴方の中に居られての声なのである」
この言葉が無条件に納得できれば立派な信者であると思う。

阿弥陀さまというのは具体的な人物や物でなく、無限の宇宙そのものだと以前に聞いた。
ヨガでも宇宙とか心とかの話を聞く。

こうしてみると全く精神の問題なのだとつくづく思うのである。

法話の前に皆で正信偈をあげた。大勢の人での念仏はなかなかいいものだ。
他の宗教を信じている方ゴメンナサイ。


neko
Posted byneko

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