65年目

太平洋戦争が1945年8月に終わったがその1ヶ月ほど前に岐阜近辺が空襲にあった。

7月9日深夜のB29による空襲で実家も焼け出された。
幼児だった自分に定かな記憶はないのだが、後年に兄や姉の話を聞いてそれが自分の記憶のように感じている。


長良川を隔てて岐阜の空が真っ赤に見えたとか。
そうこうする内に田舎にも焼夷弾が落ちてきてあちこちで火の手が上がる。
防空壕なるものが掘ってあって最初はそこへ避難していたが、ごうごうと燃え盛る火にここでは危険と思ったらしく溝の中を伝って家の無いほうへ逃げたとか・・・
自分は姉の背に括りつけられていたそうな。

自分の記憶としてはっきりしているのは田植えが済んだ田圃に焼夷弾が落ち、その水しぶきが飛ぶ光景である。

家は丸焼けになったが家族は全員無事だった。


しかし、岐阜の市内に叔父一家が住んでいたので消息を確かめに父が何度も出かけたが、全く手がかりが掴めないまま全員死亡したのだろう認めざるをえなかった。

900人もの犠牲者の中の5人なのだ。

遺骨も何もないのだが実家の兄が5人の為にお墓を建立した。
7月9日にお墓参りに行くつもりだったのに雨が降り出して行けなかった。

明日にはきっとお参りをしてこよう。

neko
Posted byneko

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いも子  

今日は

私は戦争が終わった翌年8月に生まれましたが、食べ物の配給制度はかすかに覚えています。
米穀通帳が有ったこと、お酒など買うときは一升ビンが無いと買えなかった?・・・

戦争は二度と起こして欲しくは有りません
犠牲者の方のご冥福を祈ります。

2010/07/10 (Sat) 10:55

neko  

いも子さん こんばんは。

一日遅れながらお墓参りをしてきました。

墓標をよく見ると45歳・39歳の叔父さん夫婦に子どもたちが17・16・14歳ととあり、「ああ、さぞや無念だったろうなあ」とあらためて思いました。

2010/07/10 (Sat) 21:17

よっちゃん  

戦争体験

戦争体験…
今では、それを語れる人が少なくなり、
nekoさんのお話、貴重なお話だと思います。

主人の父親は、各務原の出身で、寅年生まれの70代。
ですので、名古屋の戦火を見た事もあるそうです。

私の両親は、戦後生まれですので、
戦争体験をした親を持っている、うちの主人は、
私の同年代には いない人で、
私にとっては、ある意味貴重な存在です。

夏のレジャーの楽しい季節になってくるわけですが、
ある年代にとっては、悲しい記憶の季節なのですね…。

平和の時代に生まれた事に、感謝を忘れてはいけないと思いました。
貴重なお話、ありがとうございました。

2010/07/11 (Sun) 22:03

neko  

よっちゃん  コメントありがとう!

はっきりと歳が分かってしまいました。(それは別に大したことではないです)

お墓というのも不思議な物で、そこにあるからこそ逝ってしまった人の事も思い出すよすがになります。

2010/07/11 (Sun) 22:54