寄進ってなあに?とぼやく

寄進ってなんだろう?

「神社や寺院などに金銭・物品を寄付する事」

名称はどうであれ、年間費的に決まった金額は多少の変動はあっても(少なくなる事はないが)これはいい。
問題は臨時的な寄進である。

神社の「拝殿の屋根が怪しくなってきた」とか「渡り廊下も痛んで来ているとか」1軒に数万円の費用が要るそうで、「仕方がないなあ」と積み立て金をしている。


一方お寺の方は、親鸞聖人750回大遠忌が来年から再来年にかけて行なわれるらしい。
西本願寺への寄進が確か3万円。
これはやっと納めた。

次は師匠寺の大遠忌。
こちらは住職の交代(何と呼ぶのか知らない)も含め法要がなされるとか。

その記念事業として書院建設が計画され、大体一戸あたりの寄進額を示される。7万円。

こちらも毎月積み立てをしている。

信仰心がないので、心から喜んで寄進を出来ないのが本心である。
(他の納得がいかない事もあった)

この自分を見ると、実家の父も主人の母も含め、昔の人はなんと純粋だったのだろう。
自分の家で採れた野菜などはまず一番にお寺へ差し出したり、金品も寄進したりしたものである。

実家の父など自分で金がないので、お寺が幼稚園を始める時、借金の担保に自分の田畑を差し出したそうである。

そんな親を持ちながら「ああ、我が家のこのブカブカの床はどうしよう。修理するお金もないし・・・それでも寄進はするのだなあ」とぼやきながら、新築されつつあるお寺の書院を眺めているのである。

     書院建築中



neko
Posted byneko

Comments 6

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いも子  

nekoさん おはようございます。

貴女の言われんとする事、痛いほどよくわかります。
私も、似たようなかんがえです。

心から喜んで出来るものなら、積み立てしようが、何をしてでも寄進しますが、金額を宛がわれての寄進は納得しがたいものがありますね。

2010/03/30 (Tue) 09:06

neko  

いも子さん おはようございます。

このブログを公開するのはちょっとためらいました。
しかし、心のままにをモットーにしているので、「エイ!」とログしました。

心からその教えを信じている人なら何でもできるのでしょうか?

全財産を差し出してもいいという位の気持ちを持たせるのは何なんでしょうね。

2010/03/30 (Tue) 09:33

スミ  

全く同感です
この厳しい世の中で「ハイヨッ!」と七万円出せる人はそれほどおられないはずです
八分にされるのも困ります
さも当然のような顔をしている「副」の馬鹿面が大嫌いです
「奥」のエゲツナサも目に余ります
言いすぎでしたら削除してくださいな

2010/03/30 (Tue) 22:26

neko  

Re: タイトルなし

ヤヤ!
中々過激なコメントですな。

思うに昔の寺は(我々が子供だった頃まで)地域の人たちの面倒をあらゆる面からサポートされていた感があります。
現在で言えば社会福祉ボランティアといったらいいのでしょうか。
坊守さんが中心になってお手伝いする人たちがその輪を広げていたように思います。

そのような活動が「いつもお世話になっている」という感謝の気持ちになり、何かの時には、なけなしのお金をはたいてでも寄進したいと、自ら思ったのではないでしょうか。

誰を責めるという訳ではありませんが、自分の気持ちが「喜んで寄進させてもらう」と思えたらどんなにかいいだろうと思ったのです。


2010/03/30 (Tue) 23:37

みよ  

自分たちの代はまあ、親を見ているからいいとしても次の代はどうだろうかと思わずには居られませんよねー。

2010/03/30 (Tue) 23:58

neko  

みよ さん おはようございます。

視点を変えればお寺も大変ですね。

どうしたら皆さんをお寺へ近づけるか?
若院に交代したら何かかわるのでしょうか?

2010/03/31 (Wed) 09:55